蝦蛄(しゃこ)と駅弁

蝦蛄、最近はめっきりと見る機会が少なくなりました。
もしかすると、読者の中には「蝦蛄ってなに?」と、思う方がいらっしゃるかも知れません。
筆者が子供の頃(昭和40年代)は、蝦蛄と言えば並の鮨に入ってくるネタでしたし、魚屋に行けばバケツで売っていたのですが、いつの間にか獲れなくなってしまい、高級品の仲間入りとなってしまいました。

蝦蛄が、いつ頃から食べられていたのかは分かりませんが、江戸時代には江戸前鮨のネタとして使われていたほか、「品川めし」が有名でした。
「品川めし」というのは、当時江戸の外れであった品川の海で採れた蝦蛄を使い、それを煮物などにしてご飯に混ぜる食べ方。作り方は幾つもあったらしく、蝦蛄を使った混ぜご飯、炊込みご飯の総称として「品川めし」と呼ばれていました。
江戸時代には、品川では蝦蛄を使った「品川めし」が、その対岸である深川(画像1)では浅蜊や蛤をつかった「深川めし」が庶民の食として親しまれていましたが、現在では「品川めし」の方は忘れられた存在になってしまい、「深川めし」のみが郷土料理として残っています。

画像1 江戸時代の品川と深川

その蝦蛄ですが、今では誰もが「しゃこ」と呼びますが、江戸時代には「しゃこ」と呼ぶことは少なく、「しゃくげ」と呼ぶことが普通でした。(画像2)
このため、江戸時代の料理書に「しゃこ」という名前で記されることはほとんど無く、余り食べられなかったと思われがちですが、そもそも呼び方が違うわけで、実際には庶民の間でよく食べられていたことは、先に記した通りです。

画像2 『大和本草』1709年(宝永7年)刊

さて、蝦蛄を使った駅弁はとても少なく、これまでに山陽本線相生駅・赤穂線播州赤穂駅の「瀬戸のしゃこめし」と「しゃこ舟ずし」。日豊本線行橋駅の「しゃこ寿司」。鹿児島本線小倉駅の「しゃこ寿司」が、あったにすぎません。
林順信氏は「全国珍弁奇弁番付」(『汽車弁駅弁旅の味』昭和63年)の中で、相生駅の「しゃこ舟ずし」を西小結に上げています。

これら蝦蛄駅弁の中で、その先駆となったものは、相生駅と播州赤穂駅で駅弁販売を行っていた「有限会社えのき」が発売した「しゃこめし」で、昭和50年に当時の国鉄が行っていた「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンに合わせて発売したものです。
蝦蛄を選んだ理由について、当時の社長であった明石哲於氏は「隣の明石(駅)には穴子と鯛があるので、手前どもではシャコに目をつけました」と、述べています。
えのきが使った蝦蛄ですが、もちろん地場のもので、日生付近で獲れたものを使用していました。

日生は「ひなせ」と読みます。
兵庫県と岡山県の県境付近の瀬戸内海に浮かぶ諸島で、海産資源が豊富な所として有名です。(画像3)
砂地の発達した綺麗な海で育った日生産の蝦蛄は、身が厚く、臭みが無いので上級品として知られていました。

画像3 日生(ひなせ)と相生駅・播州赤穂駅

そのような蝦蛄を取り入れた「しゃこめし」には、五目ご飯の上に4匹の蒸した蝦蛄と、御菜入れの方には酢みそで味着けた蝦蛄が1匹。(画像4)

画像4 しゃこめし

蝦蛄の旬は、春から初夏(3〜5月)と秋〜初冬(10〜12月)の年2回あります。
「しゃこめし」には、春から初夏に獲れる子持ちのものを使用していました。
子持ちは、発達した卵巣がとても美味しいと言われていますが、逆に考えると栄養が卵巣に取られてしまうため、純粋に蝦蛄の身を楽しみたいばあいには、身が詰まった秋の蝦蛄の方が良いと思います。

全国で3駅、4種類の販売だった蝦蛄を使った駅弁。
その先駆的存在だった有限会社えのきは、2007年11月に事業停止。
行橋駅で「しゃこ寿司」を販売していた小松商店は駅弁から撤退。
小倉駅で「しゃこ寿司」を販売していた、北九州駅弁当は現在も駅弁を販売していますが、「しゃこ寿司」はラインナップから外れているようです。

以前は、全国的に豊富な漁獲量があり安かった蝦蛄も、今では高級品で5〜6匹で夏目漱石さん1枚だったりしますから、駅弁の食材には向かないのかも知れません。
江戸の昔から庶民の味だった蝦蛄も、大した出世となったものです。