姿寿司

筆者は、生まれ育ち、就職して地方に出るまでは、東海道本線の大船駅が最寄り駅でした。
大船駅の駅弁と言えば「鯵の押寿司」が美味しく有名。
しかも、あの頃(昭和40年代後半)は値段の方もとても安かったので、頻繁に崎陽軒の「シュウマイ弁当」と共に、週末に家族の昼食として食べたものです。
ご存知の方も多いとは思いますが、「鯵の押寿司」は、にぎり寿司の形で箱に収まっているので、「駅弁の寿司とはそのようなもの」と理解していたのですが、ある時、駅弁を紹介する本で見たのが、魚をそのままの姿で寿司にした姿寿司の駅弁。
もう、ものすごくショックというか、インパクトが強かったですね。
「世の中にこんな寿司があるのか・・・」と。
なにしろ、握り寿司しか知らない小学生だったのですから。

もちろん子供なので「じゃあ、買ってくるか」というわけには行かず、じっと待つこと数年。
待望の姿寿司を初体験したのが、夏の旅行で木曽へ行った時に食べた、塩尻駅の「いわな寿司」。山深い清流にしか住むことができなかった岩魚の養殖が成功したことによって誕生した駅弁で、日本で最初に販売された岩魚を使った寿司でした。
この時に食べた、何年も待って初めて食べた姿寿司の感動というかドキドキ感は、今でも鮮烈に残っています。
このような経緯があるので、今でも姿寿司へのこだわりというのがあって、姿寿司があれば、迷わずそれを選んでしまいます。
ですが、最近は駅弁としての姿寿司がめっきり減ってしまって寂しい限りなのです。

画像1

駅弁で姿寿司と言えば川魚が定番ですが、画像1は鯛を使用したもの。
この熊本県三角駅で販売されていた「鯛の姿寿し」は、かつては駅弁大会でも売れに売れた人気商品で、大阪の駅弁大会では1日2000個以上を販売したこともあったと聞きます。
鯛寿司というのは種類が多く、今でもあちこちの駅で販売されていますが、その多くが切身を使ったにぎり寿司タイプなので、三角駅の姿寿司は貴重な存在でしたが、今では廃業してしまい、食することができないのが残念の一言。「どこか、他社でもいいので復活してもらえると有り難い」と、思う駅弁ファンは多いと思います。
ここの姿寿司は、1匹で2箱分を作っているので、1箱に半身しか入っていません。しかも、箱の中に入っているトレーが鯛の形に凹んでいるので、その大きさに合う重さ150グラム程度のものに限られていたので、ちょっと量的に物足りなさがあったのも事実で、普通にお腹一杯になるには2箱が必要でした。
使われていたのは黄レンコダイという、地元、天草地方の海で獲れたもの。シャリは昆布出しで味付けされ、それが鯛と上手いことマッチしていた記憶が残っています。
折尾駅の「かしわ飯」、宮崎駅の「椎茸めし」と並び、九州を代表する駅弁の1つでもありました。

画像2

画像2は、奈良県吉野口駅の「鮎ずし」。この姿寿司も近年になり調整元が廃業してしまい、今となっては食することができなくなったものの1つです。
調整の歴史を紐解けば、明治44年にまで遡ることができるのですから驚きです。
吉野川で獲れた鮎を開きにして、ちょっと酢が効き過ぎた感じがしないわけでもないのですが、食べながら「鮎寿司」としては駅弁最古参の伝統を感じた逸品。
当然ながら、古くは鮎シーズン限定の季節弁当であったのですが、冷凍技術の発達により年中楽しめるようになり、廃業前には新大阪駅構内の駅弁売店でも入手可能であっただけに、終売は残念に思います。

画像3

鮎の姿寿司は、戦前から比較的多く見られました。
中でも有名だったのは、画像3の旧東海道本線(現御殿場線)山北駅中川販売店と、岐阜駅嘉寿美館の「鮎寿司」。
山北駅の「鮎寿司」がいつ頃から売られていたのかは不明ですが、正岡子規が
「山北や 鮎の鮓買ふ 汽車の中」
という句を明治29年に残しているので、本品が最古の駅弁「鮎寿司」の可能性が高いと思われます。他にも本品は、たびたび文芸作品に登場していることから、今で言うところの有名駅弁だったのでしょう。
北原白秋は民謡集『日本の笛』「山北」の中で
「早やも山北、チラチラ、燈。鮨は鮎鮨、溪の月。(以下略)」
と、詩っています。

岐阜駅嘉寿美館の「鮎寿司」は、明治37年からの販売が知られており、鮎姿寿司最古参の一画を占めていました。100年近くも伝統の姿寿司を守っていたのですが、平成に入ってからバッテラ風の押寿司スタイルになってしまったのは、極めて残念なことでした。
姿寿司から、押寿司に姿を変えた辺りから味にも変化が現れ、古くからの味を知るファンからは、その変化を残念がる声も多く聞かれました。同社は、平成17年に破産し閉店となっています。

ご紹介した鯛、岩魚、鮎のほかに、山女、鱒、魳など、以前はそこそこの種類の姿寿司が日本中で見られましたが、その多くが地元資本の小さな駅弁屋さんの商品であったことから、しだいに失われ、今では残る所も少なくなってしまいました。
日本には「尾頭付き」という、祝い事などに盛んに用いられる食文化があります。
姿寿司も「尾頭付き」に通じるものがあり、またどこか日本的な、そしてどこか素朴な感じがする寿司ではないでしょうか。

駅弁の中で廃れ始めた「姿寿司」。
今に残る数少ない「姿寿司」を、大切に残したいものです。