荻野屋と言えば、一般的に「峠の釜飯」一択のイメージですが、その釜飯の誕生は昭和33年2月のこと。
荻野屋の駅弁販売の歴史を紐解けば明治18年にまで辿ることができるので、なにも釜飯だけが荻野屋ではないことがわかります。
下の画像は、昭和9年に荻野屋が販売した「御寿司」の掛紙。
描かれているのは碓氷第三橋梁を渡る列車の風景で、信越本線碓氷峠の中でも絶景と言われた、この情景を掛紙に採用したセンスは抜群。
これは筆者の想像ですが、昭和9年当時、この碓氷第三橋梁は、今ほどに注目されてはいなかったと思います。
そのような時代に、沿線の風景として掛紙に採用した先見性に感心、感心。
この碓氷第三橋梁は、いわゆる旧線と呼ばれる明治26年(1893)から昭和38年(1963)まで使用されたアプト式時代のもので、現在では国指定重要文化財に指定されています。
写真1は、旧線が廃止になる直前の第三橋梁を渡る下り特急「白鳥」で、後部に4両連結されているのがアプト式のED42型電気機関車です。
その橋の現在の姿が写真2で、ほぼ掛紙と同じ構図。
この第三橋梁に使用されたレンガの数は約200万個と言われており、渋沢栄一が設立に携わった日本煉瓦製造株式会社(現埼玉県深谷市)の製品が使われています。
奥に写っているトンネルは第五号隧道で、写真3がその近景。石組みの素晴らしいトンネルです。
さて、この掛紙の題材にもなった碓氷峠旧線ですが、峠の麓である横川から熊ノ平駅跡までが「アプトの道」(地図参照)として整備され、誰もが旧線跡ウォークを楽しむことができます。
登りが2時間半〜3時間、下りは1時間半〜2時間ほどの行程になりますが、途中には明治時代のトンネルや橋、変電所跡など多数の見どころがあり、天気の良い日には気持ちよく歩くことができます。
夏は暑く、また草木が生い茂りますから、春先と秋がオススメの季節です。