函館駅の「鰊みがき弁当」と「みかど食堂」

海の幸の宝庫、北海道。
イクラ、カニ、ウニなどをメインにした駅弁が沢山あって、売場に行けば色とりどりの見栄えのする駅弁がズラリと並んでいます。
今回ご紹介する「鰊みがき弁当」は、そんな駅弁の中では、全体的に沈んだ色味で、見た目は地味。だけど味はバツグンで、筆者は北海道で一番美味い駅弁だと思っています。

 

蓋を開ければ、ご飯の上にみがき鰊と数の子がそれぞれ3切れ、そして付け合わせの茎ワカメとタクアン。
鰊も数の子も大きく、特に数の子は寿司屋で出て来るものより、厚みも幅も大きめ。高価な数の子がこんなに入っているなんて、もうそれだけで満たされた気分になれます。
駅弁のタイトルでもある鰊は、身が厚いものを天日干しにした後、数十年も継ぎ足しているというタレで味付けしたもの。甘辛く濃い味ながらも、ご飯との相性がピッタリで食が進みます。
数の子が単純な塩味なので、あい間にポリポリ食べると、不思議と濃かった鰊の味付けがサッパリ。

調整元は、2012年までは「みかど」。
現在は、「北海道キヨスク」が販売していますが、ブランドとして「函館みかど」を使用しています。
「みかど」と言えば、神戸の老舗レストランとして、古くからの鉄道関係者の間では有名ですが、なぜ函館に?

「みかど」の前身は、実業家であった後藤勝造が、神戸において明治22年8月に創業した自由亭ホテル。
自由亭は、山陽鉄道において営業していた列車食堂を、明治34年に請け負うことになったことから、自由亭列車食道部を設けました。
また、同年12月には神戸駅構内に西洋料理店をオープンさせ、このレストランの名称を「みかど」としました。
明治34年の鉄道国有化以後、自由亭列車食堂部は「みかど列車食堂」として、各地で食堂車の営業を担当するようになり、全国の食堂車の45パーセントを「みかど」が担当するまでになります。

「みかど列車食堂」のチラシ(昭和戦前期)

一方、函館では明治38年の駅開業以来、浅田屋が構内営業、及び大正5年からは食堂車の営業をも行っていましたが、浅田屋内部で発生した問題により、昭和11年6月に鉄道省旅客課の指示により「みかど」が浅田屋を買収、札幌駅食堂、札幌鉄道倶楽部食堂、函館桟橋駅食堂及び列車食堂の営業を引継ぎ、その後、昭和13年11月には函館駅構内食堂とホーム立売を始め、「みかど」は北海道での地位を確立します。
このような経緯から、神戸の「みかど」が遠く離れた北海道函館で、駅弁の製造・販売を行うようになったのです。

函館の駅弁として不動の地位を築いている「鰊みがき弁当」の発売は、今から50年以上も前の昭和41年のこと。
以前は数の子が入っていなくて、鰊が4切れだったのですが、いつ頃から数の子が入るようになったのでしょうか?
鰊だけの単調な駅弁なので、数の子入りの方が飽きが来なくて良いと思います。
以前(1983年夏)に、筆者が函館駅の立売さんに聞いたところ、旅行シーズンには1日で1000個ほど売れるとのことでした。