2014年駅弁大会復刻掛紙

金亀館
高山駅 御寿司

金亀館は代々割烹料理店を経営していたが、昭和9年10月18日に名古屋鉄道局長の承認を得て構内営業を開始した。
その理由は、高山本線の全線開通(昭和9年10月25日)により高山駅が岐阜・富山間の中間駅として、また近隣に観光地を有しているため、旅客サービス上の必要から許可を受けたものである。
本掛紙は、北アルプスへの入口としての高山をアピールする構図であり、「北アルプスへは 山都 高山から」と記されている。この図案は当時の金亀館当主であった垂井藤夫が自ら描いたものである。
掛紙に記された価格、金亀館の創業年、戦時色が見られないなどの観点から、昭和10年代前半の掛紙であると想定される。

 

 

大黒屋(高野商店)
今庄駅 御弁当

明治29年7月15日の今庄駅開業と同時に、弁当とお茶の立売を開始した。昭和37年に敦賀〜南今庄間の北陸トンネル開通により、優等列車が今庄駅を通過することになったことに伴い、大聖寺駅へ移転。昭和45年に優等列車の停車駅として加賀温泉駅が開業すると、同駅へ再び移転し現在に至っている。
本掛紙は、雪景色の今庄の山々をバックに、手前には木の枝に留ったツグミを描いている。ツグミは今庄の名物であり、戦後ツグミ弁当が販売され一躍有名になったものの、ツグミが禁漁になったことから消滅した。
調整時刻を表示したスタンプが、時計形であるところが面白い。

 

 

三好野
岡山駅 上等御弁当

明治24年に山陽鉄道株式会社の許可を得て岡山駅にて湯茶の提供を始め、翌25年から駅弁の製造・販売を開始した。
本掛紙は、定価30銭時代(昭和5〜15年)の上等弁当である。図案は奥に岡山城を、手前には後楽園庭園を描き、その池の上空にツルを二羽配している。

 

 

中央軒
鳥栖駅 かしわめし

明治25年に九州鉄道株式会社の許可を得て、構内営業を開始。
かしわめしは、大正2年に当時の鳥栖駅構内営業人のうちの1人であった江島が販売を開始した。昭和初期に一時期途絶したものの間も無く再開し、現在まで販売が続いている。
本掛紙は、かしわの由来である鶏を大きく描き、その尻の部分に卵を配する洒落た構図となっている。卵内には門司鉄道局名による「旅は道連れ 世は情け 御互に座席を 譲合ひませう」という鉄道標語を記している。

 

 

福廼家
和田山駅 上等御弁当

前業者が廃業したことから、それを引き継ぎ、明治44年に鉄道院西部鉄道管理局長の承認を得て営業を開始した。
本掛紙は、関西・山陰地方の鉄道路線図を図案としているが、掛紙図案の中でも地図を主題とした掛紙は意外と少ない。
大正8〜11年の上等弁当40銭時代の掛紙である。

 

 

米吾
米子駅 上等御弁当

明治35年に鉄道作業局長官の承認を得て、米子駅においてホーム立売を開始した。
本掛紙は、富士山に似ていることから「伯耆富士」と呼ばれる大山をバックに、手前には中海と松林を描いている。
上等弁当は、大正8年に定価30銭から40銭へと値上げされたが、大正11年に35銭へと下げられ、昭和5年に再度30銭へと下げられた。このように定価30銭時代は2回あるが、本掛紙は図案の様式から昭和5年以降の30銭料金時代のものであることがわかる。

 

 

柳家
吉野口駅 鮎鮨

明治44年に鉄道院西部鉄道管理局長の承認を得て、ホーム立売を開始した。
鮎鮨は明治44年の営業開始当初から販売されており、100年を超える歴史を持つ駅弁である。
本掛紙は上部に吉野の山々を描き、中央には大きく清流を泳ぐ鮎を描いている。絵柄から鮎の美味がよく伝わり、購入意欲をそそる掛紙である。定価25銭で昭和戦前期の掛紙である。