広島駅弁当と「夫婦あなごめし」

先日、G7サミットが開催された広島。
その広島ですが県内全域に目を向けると、広島駅の広島駅弁当、宮島口駅うえの、三原駅浜吉など、流行に左右されない振れない駅弁業者が集っているのが特徴の一つ。

今回は、その中から広島駅弁当をご紹介いたします。
広島駅弁当と言えば、明治30年代の駅弁を再現し話題となった「廣島上等弁当」があり、これを食された方も多いのではないでしょうか。
その「廣島上等弁当」には、戦前の復刻掛紙が使用されていますが、もし、お手元に掛紙をお持ちでしたら右下をご覧ください。
そこには「中島价良軒」と調整元が記されており、現在の広島駅弁当とはなっていません。実は、この表記こそが広島駅弁当の歴史を辿る重要なキーワードになるのです。

広島駅は、東から延伸してきた山陽鉄道の終着駅として、明治27年(1894)6月に開業していますが、構内営業の開始は若干遅れ明治29年に大阪水了軒が支店という形で始めています。
そして、水了軒の広島撤退(明治33年10月10日から柳井駅で営業開始)後の明治34年4月1日から、それを引き継ぐ形で中島改良軒が構内営業を開始しました。

一つの駅で、複数の構内営業者が競合することは珍しい事ではありませんが、広島駅では羽田別荘、吉本屋、中島改良軒の3者が凌ぎを削っていました。
画像1の左が中島改良軒で右が羽田別荘、画像2が吉本屋の掛紙です。

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この3者態勢が崩れたのは、戦時の企業・経済統制を受けた太平洋戦争中のことで、広島駅と海田市駅で構内営業を行っていた5者(広島駅羽田別荘・中島改良軒・吉本屋、海田市駅山岡甲了軒・大田山陽軒)が合併したことによります。
この5者合併により、今日の広島駅弁当株式会社が、昭和18年(1943)3月1日に発足し現在の広島駅構内営業に繋がって行きます。

その広島駅弁当の売れ筋と言えば「夫婦あなごめし」。
かつては「しゃもじかきめし」(元は「かきめし」)が超有名でしたが、両者が揃う駅弁大会で見ていると、今では「夫婦あなごめし」の方が断然売れ行きが良いことがわかります。
その「夫婦あなごめし」の蓋を開けると、穴子2本がドカンと横たわっており、強烈なインパクト。
もちろん穴子としては、肉厚が薄い小振りなものですが、それでも丸ごと乗っていると「さぁ、穴子を喰ってくれ!」みたいな感じが伝わってきます。

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調理が煮穴子で仕上がっているので、ふっくらとした食感が特徴。
それに加え、穴子の骨をカリカリに揚げたものが別添えされており、こちらも美味。

「夫婦あなごめし」。
今では、広島駅弁当の顔とも言える存在です。