富山駅「白えび天ぷら」と天丼

天麩羅は、日本人の食生活の中でごく普通に食べるもの。
街中には高級天麩羅屋からファーストフードの格安天麩羅屋まで色々とあります。
弁当でも幕の内系を中心に小さな海老天などが入っていることも多く、駅弁でもフライほど多くはありませんが、天麩羅が取り入れられているのを見ることがあります。
ですが、不思議に思うのは駅弁で天麩羅がメインとなることは少なく、脇役的存在が定番で、天麩羅定食のような駅弁は過去に遡ってもホントに少ないと言えます。

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今回ご紹介する富山駅の源は、誰もが知る「ますのすし」で有名な駅弁業者ですが、その源が2017年の春から販売しているのが「白えび天ぷら」。
「天ぷら」を名乗ってはいますが、定食系ではなく、丼物。つまり天丼です。
中身の天麩羅は、半熟卵、白海老、赤蕪、隠元。
蓋を開けると、目に飛び込むのは真ん中に鎮座する半熟卵・・・。
正直なところ、天麩羅でこれはどうなのかなぁ・・・。
他の食材が小さいものばかりなので、大きな卵を中心に、その周囲に小さな食材を配するのは、視覚的には理解できるのですが、食した感想は「・・・・」です。

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対して赤蕪はザクザクと、面白い食感で良い感じ。そもそも、赤蕪の天麩羅は初めて食べました。

そして、駅弁のネーミングにもなっている白海老は、富山の代表的な味覚の一つ。
小さな海老なので掻き揚げ風になっており、香ばしくも甘味が有り、十分な量が入っています。

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全体的な味付けの基本となるタレですが、甘みが強いので、関東風な諄さがなく、どなたにも愛される味だと思います。

ある意味邪道かもしれませんが、上に乗っている天麩羅を酒の肴として、下のご飯を締めの食事として食べるのも、酒飲みには良いかも知れません。
ご飯にもタレが十分に掛かっているので、それだけでも問題なく食べることができます。

今回ご紹介した「白えび天ぷら」は天丼ですが、歴代の駅弁の中でも天丼はかなり少なく、パッと思い浮かぶのは函館本線長万部駅でかつて販売されていた「ほっき貝天丼」くらいしかありません。

天丼の上に乗っている天麩羅が広く食べられるようになったのは、江戸時代の安永〜天明年間のことで、蕎麦や鰻、寿司と並んで江戸の主要な外食産業に成長しています。
画像4は、歌川広重が描いた「東都名所高輪廿六夜待遊興之図」からの一部分ですが、今の品川付近での屋台の天麩羅屋の様子が描かれています。

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さて、その天麩羅をご飯の上に乗せた天丼の登場ですが、一部には江戸時代の終わり頃には存在していたと推定している書物がありますが、今のところ確実なのは明治に入ってからのことでしょう。
明治30年に刊行された『東京新繁盛記』には「仲野(神田区鍛冶町)天丼の元祖にして今より廿餘年前此家の主人が天麩羅を丼になすことを発明し、一人前七銭にて売り出したるを本とす」としています。
また、『月刊食道楽』明治38年11月号には「天丼は神田鍛冶町の仲野が元祖なり。明治七・八年頃よりのことなり」と記されており、この他、明治時代に出版された幾つかの料理関係本で、同様なことが確認できます。

「白えび天ぷら」は、駅弁史の中でも数少ない天丼駅弁としての話題性、そして富山名産白海老を使用していることなど十分に評価されるべき駅弁だと思います。
富山駅弁=「ますのすし」だけではありません。