碓氷峠と荻野屋

子供たちにとって、待望の夏休みが始まりました。
半世紀近くも前の自分ですが、午前中に宿題と自学(まぁ、親に強制的にやらされていたようなものですが・・・)、午後からプールや友達と遊ぶ毎日。
そうそう、江ノ島や鎌倉の花火大会も待ち遠しかったものです。

昭和40年代の夏休み中の上野駅は、今では考えられないほどの旅行客でごった返していました。
それもそのはずで、東北、常磐、上越、信越の各方面に向かう特急や急行列車が、それこそ分刻みで発着するのですから。
定期列車では間に合わないので、多量の臨時列車を出して、なんとか客を送り出していたほどです。

そのような中、急行「信州」「妙高」、特急「あさま」「そよかぜ」という、信越方面に向かう列車がありました。
これらの列車に乗る人々の目的地は、涼しい八ケ岳周辺の高原地帯や、志賀高原、妙高高原、そして軽井沢。

これらの列車が信州への入口として通るのが、釜飯で有名な横川駅であり、その先にそびえ立つ碓氷峠。

横川といえば荻野屋の釜飯。
西日本では知名度が落ちますが、東日本では絶大な知名度を誇り、崎陽軒の「シュウマイ弁当」と荻野屋の「峠の釜飯」は、駅弁好きではなくても知っているほどで、駅弁大会でも超人気ブランドです。

画像1は、その荻野屋が昭和9年8月に販売した「御寿司」の掛紙。
まだ、釜飯販売以前の時代です。
描かれているのは、碓氷第三橋梁(通称めがね橋)を渡る列車。
北陸(長野)新幹線の開通により信越本線の横川・軽井沢間が廃止され、現在は碓氷第三橋梁も鉄道線としての使命は終わっていますが、文化財としての価値が認められ、国指定重要文化財に指定されています。
掛紙では、デフォルメされた中にも急峻な碓氷峠がよく表現されています。

画像1

画像2は、その碓氷第三橋梁の現役時代の写真。
通称「めがね橋」と呼ばれていますが、4連アーチなので、正確には「めがね橋」ではありません。
写真に写るのは、上野発、信越、北陸線経由の大阪行き特急「白鳥」号を、ED42形アプト式電気機関車が4両で後押しし、軽井沢へ向け峠を登っている場面です。
高さ31メートル、橋脚はコンクリート製、アーチ部はレンガ積みの見事な橋です。

画像2(撮影:昭和37年)

昭和9年に掛紙の図案として、このアーチ橋が採用されていることは、おそらく当時から碓氷第三橋梁が、碓氷峠のランドマーク的な存在だったのでしょう。
軽井沢という避暑地の玄関口として、山の涼しさが伝わってくる、夏にこそ相応しい掛紙です。