戦争と掛紙

もうすぐ、77回目の終戦の日(8月15日)がやって来ます。
この終戦の日を、1941年(昭和16)に始まった太平洋戦争が終わった日と思われている方が多い(半分は正解)のですが、実は1937年(昭和12)に始まった日中戦争が終わりを告げた日でもあるのです。
つまり、昭和の戦争の時代は太平洋戦争の3年8ヶ月ではなく、日中戦争をも含めた8年間もの長きに渡るものでした。

この8年の間は、戦争のためにあらゆる国民生活が大なり小なり犠牲になっていましたが、駅弁の掛紙からもそれが伺えます。

画像の掛紙は、信越本線直江津駅の山崎(現在もホテルハイマートとして駅弁を販売)が調整した「御弁当」。
掛紙を6区画に分けて、それぞれに戦争遂行のための国民向けアピールを掲載しています。

左上「健康増進 浴びよ日光 鍛へよ身体」
兵士になるにも、工場で働くにも、そして百姓として食糧増産を行うためにも、身体が丈夫でなければいけません。
だから身体を鍛えましょう、というもの。

右上「交通道徳 一列で 一降り 二乗り」列車の正常運行には、整列乗車が不可欠。
1本の列車の遅れが、軍用列車など他の列車にも影響を与えてしまいます。

左中「物資愛護 一本の 割箸で 一個の マッチが出来る」
言うまでもなく、物資節約を奨励したもの。

右中「貯蓄奨励 偲べ 戦線 求めよ 国債」
戦場を思い倹約・貯蓄をし、その貯金で戦費調達のための国債購入を奨励しています。
要は、体よく国民から資金を巻き上げるための標語です。

左下「防諜 逃すな スパイ 漏すな 機密」
どこにスパイが居るのかわからないので、情報をむやみに他人に話すな。そして、スパイに注意し、怪しい人は見逃すな。
怖いですね。究極の行き着くところは、国民同士の相互監視になってしまいます。

右下「節米運動 一粒の米も大切に」
戦争の影響から農業生産力が落ち、米は一粒も無駄にはできない、貴重な食べ物となっていました。

ところで、この駅弁の定価は「三十銭」と書かれていますが、その上にマルで囲まれた中に「停」と書かれた記号が記されていますが、これは何でしょう?
答えを先に言ってしまうと「マル停価格」と呼ぶ、戦時中の経済統制の記号なのです。
戦争の影響により物価が高騰し、国民生活に影響が出るため、昭和14年9月18日現在の価格を超えて、値段の引き上げを禁止したものです。
この処置により価格を凍結された物品を「価格停止品」と呼び、これを表示する手段として「マル停」マークが付けられたのです。
駅弁も「価格停止品」という国民生活を守る重要品であったことが、この表示でわかります。

それにしても、この掛紙の数年前までは旅行者のために、名所・旧跡の観光案内を掲載するように鉄道当局に決められていた掛紙ですが、戦争が始まると、一気にその方向性が変わった身の変わりように驚かされます。