首都圏限定の話題ではありましたが、今夏の注目駅弁の一つに崎陽軒が販売した「あのときの シウマイ御弁当」がありました。
「あのときの」というのは、昭和39年のことで、今夏開催された東京オリンピックにあやかり、前回大会が開催された昭和39年に売られていたシウマイ弁当を再現したというもの。
毎日定量が製造・販売されていましたが人気が高く、普段は駅弁には特に興味を示しているわけではない複数の友人が、奔走して入手に努めていたほどです。
よほど、そういう人が多かったのでしょう、運が良くないと出会いは難しく、入手できた人は自慢のタネ。
「やっと入手できた」と、SNSなどで紹介している人が、けっこういらっしゃるのを目にしたほどです。
さて、今回はこのシウマイ弁当のどこが違うのかを、比べてみましょう。
画像1は掛紙で、左が復刻版、右が現在使用中の物。
パッと見、昇り龍の色違いはすぐにわかりますが、よく見ると円形内にシルエット状に描かれている横浜の街並みが大きく異なっています。
復刻版の方は左にマリンタワーを描き、恐らくは関内から桜木町方面の街並みの様子を描いたと思われますが、現在のものは左にランドマークタワーと観覧車、右端にはベイブリッジを配するベイエリアを描いています。
この掛紙1つを見ても、半世紀にわたる横浜変貌の様子を見ることができます。
画像2は、弁当の内容の比較です。
なんと、シウマイの数が今は5個ですが、以前は4個と1個少ないのが、まず目に付きます。
ですが、これで驚いてはいけません。実はこの復刻版のモデルとなった昭和39年からシウマイの数が4個になりましたが、それ以前はもっと少なく3個だったのです。
黒胡麻をかけた俵型ご飯に小梅を添えるのは変わりありませんが、今は入っている鶏の唐揚げが無く、豚の天麩羅となっています。この復刻駅弁より1年前の昭和38年の資料を見ると、豚の天麩羅が無く、魚の天麩羅となっていますから、この辺は年ごとに変化が早かったのでしょう。
きんぴら蓮根、セロリの塩漬けも今は入っていません。
逆に、今は入っていて嬉しい「干しあんず」と卵焼きが復刻版にはありません。
筆者は、昭和40年代中頃から「シウマイ弁当」を食べていますが、内容についての記憶は現在のものとは、変わっていない気がします。
この記憶が確かだとすると、現在販売中のシウマイ弁当は、昭和40年代中頃には完成された形だったと言えますが、さてさて、今後の展開はどうなるのでしょうか?
あと数年で発売開始70年を迎えるシウマイ弁当ですが、崎陽軒伝統の駅弁として、今後も変わらない内容を続けてほしいと思います。