今年もやって来ました「土用の丑の日」。
スーパーの魚売場には所狭しと焼かれた鰻が並んでいますが、国産の高値は言うに及ばず、輸入物も最近では以前と比べると、けっこう高くなった気がします。
「土用」と言えば、鰻が連想され夏のイメージですが、実際は季節の変わり目それぞれにあるので、立春、立夏、立秋、立冬の直前に4回、それぞれ18日間あります。
そして「丑の日」の「丑」は干支なので十二支、すなわち12日ごとに繰り返し来るので、場合によっては期間中に2度の「丑の日」がある年もあります。
今年は7月28日だけですが、来年は7月23日と8月4日の2度になります。
さて「土用の丑の日」になぜ鰻を食べるのでしょうか?
これはなかなか難しい問題ですが、奈良時代の『万葉集』に大伴家持の歌として、
石麻呂にわれ物申す夏痩に
良しといふ物ぞ鰻取り食せ
という歌があります。
この歌を分かりやすく現代風に書き直すと、「石麻呂さんに私(大伴家持)は物を申し上げます。夏痩せによく効くと言われている鰻を獲って食べなさい」
という事になり、奈良時代にはすでに夏痩せに効く栄養価の高い食べ物として、鰻が食べられていたことがわかります。
鰻を利用した駅弁、すなわち鰻丼駅弁ですが、雪廼舎閑人(林順信のペンネーム)氏の調査によれば、常磐線(当時は日本鉄道土浦線)土浦駅の構内営業者である説田商店が明治35年に30銭で売り出したのが最初であるとしています。
その後、明治30年代では東北本線小山駅と常磐線我孫子駅、40年代になると東北本線小牛田駅と東海道本線豊橋駅で鰻丼の販売が確認されています。
画像1は、鰻丼駅弁第一号である土浦駅の説田商店が昭和戦前期に使用した掛紙で、筑波山を背景に霞ヶ浦での鰻漁の様子を描いた掛紙の秀作。
土浦駅には、上記で紹介した説田商店に続き明治33年に山本弁当店、そして明治35年には福見善助(後の福久善)が相次ぎ構内営業に参入していますが、中でも福久善の鰻丼は昭和30〜40年代の駅弁紹介では、よく取り上げられる有名駅弁となっていました。
土浦駅で販売される鰻丼は、霞ヶ浦産の天然物がウリで、昭和30年代まではそれを使用していましたが、漁獲量が減り始めた昭和40年代に入ると浜名湖産の養殖鰻も併用するようになり、その後は全てが養殖物に置き換わってしまいます。
駅弁の鰻丼は、平成元年の調査では全国で約80駅で売られていましたが、鰻の著しい高騰により、鰻丼はおろか、弁当の一部に鰻を使用した駅弁にまで広げても、今ではほんの一握りの駅で販売されているにすぎません。
もともと、豊富な地場産の食材を利用した駅弁として、全国いたる所で販売されていた鰻丼。
もし、駅弁のレッドリストがあったとしたら、今となっては間違いなく絶滅危惧種としてトップにリストされるはず。
鰻は遠くなりにけり
ですね。