最近は、めっきり目にすることが無くなった正月用の駅弁掛紙。
きっと「そんなの見たことない」と、おっしゃる方も多いのではと思いますが、昭和50年頃までは、そこそこ目にすることがありました。
これら、正月用掛紙には幾つかのパターンがありました。
1 その年の干支を取り入れ、毎年異なった図柄を印刷したもの
2 松喰鶴や日の出のような目出度い図柄を印刷して、毎年同じ掛紙を使っていたもの
3 通常の掛紙に「謹賀新年」などの言葉を入れたもの
過去に遡ると、かなりの種類の年賀用掛紙が使われているのですが、いずれも上記3グループのどれかに当てはまります。
今回は、お正月用の駅弁掛紙の中から戦前のものを幾つかご紹介したいと思います。
画像1は、東海道本線静岡駅の東海軒が大正12年に使用したものですが、これは他の業者とも共通仕様のものであり、駅名や業者名が異なるバリエーションが複数あります。最上部に「新年の明治神宮」と記されており、その下には明治神宮の新年の日の出風景がイラスト化して描かれています。
画像2は、昭和9年の正月用掛紙として東海道本線名古屋駅の松浦商店が使用したものです。同年の干支は戌であったことから、松の枝をバックに郷土玩具風の犬が描かれています。
画像3は、東海道本線大船駅の大船軒が昭和12年に使用した「上等御弁当」の掛紙。バックに日の出、前面左に門松を配し、多色刷りの効果も素晴らしく、見事に正月の雰囲気を演出した掛紙です。
私がこれまでに確認した正月用懸け紙の中で、文句なくナンバーワンの出来だと思っているものがこれ。
画像4は、東海道本線横浜駅の崎陽軒が昭和14年に使用したもの。「賀正」の隣に記された「紀元二五九九年」は皇紀のことで、今の私達には全く馴染はありませんが、当時の世相をよく反映した表現です。
皇紀とは、初代天皇である神武天皇が即位した年を元年(西暦前660年)とする日本独自の紀年法で、皇国史観を代表するものです。もちろん戦後は使用されていません。
図柄は、富士を大きく描き、手前には堤と扇を配し正月を表現しています。
年賀用の特別掛紙の使用がいつの頃からだったのかは、まだよくわかっていないのですが、明治時代のものは確認されていないので、恐らく大正時代になってからのものと思われます。
画像1は、その大正時代の掛紙ですが12年用なので、それ以前のどこまで遡ることができるのかが興味深いところですが、掛紙収集の大家であった雪廻舎閑人氏が確認したものも大正12年が最古であるようなので、この辺りから使用が始まったのかも知れません。
大晦日の夜行列車に乗り、元日の朝、朝食用に買い求めた駅弁に掛かっていたのは正月用の掛紙。
旅先で最初に目にした新年の風景が、駅弁掛紙だった人も多かったことではないでしょうか。