100年前の駅弁の中身は・・・

昭和30年代後半頃から、全国の駅弁を紹介する単行本が刊行されはじめ、一般読者が手軽に各地の駅弁の内容を知ることが出来るようになりました。
例えば昭和38年に刊行された『駅弁日本一周』(早川書房)や、同39年の『駅弁パノラマ旅行』(千趣会)などが、その代表例と言えます。
その後、この種の駅弁紹介本は増え続け、昭和50年代後半から平成一桁代にかけては、オールカラー化したビジュアルなものが主流となり、単行本や雑誌など様々な形態で出版され、旅行先での駅弁選びに一役買っています。

では、それよりも前の時代はどうだったのでしょうか?
特に長距離移動手段のほぼ100パーセントを鉄道が占めていた戦前となると、積極的に駅弁を紹介する本は皆無で、旅行者は行った先勝負で駅弁を購入。もちろん、買って蓋を開けるまでは、中身のことを知る術はありませんから、当然、当たり外れもあったことでしょう。

これは、過去の駅弁に興味を持つ現代の私達も同じことで、「戦前の駅弁がどうであったのか?」という中身のことについては、多くのばあい不明と言わざる得ない状態です。
ですが、丹念に資料を探すと断片的にではありますが、具体的な内容を知ることができることがあります。
今回は、その具体例の1つをご紹介しましょう。

大正6年12月21日に、駅弁の価格改訂があり、それまで上等弁当が25銭、普通弁当が10銭だったのが、それぞれ30銭と15銭になりました。
値上げの理由は、業者側は材料費の高騰であり、価格を取り仕切っていた鉄道側は品質改善でした。
そこで、当時の九州鉄道管理局では値上げ後の品質改善調査を行い、その内容を『九州日日新聞』が、地元熊本駅と八代駅について、大正6年12月23日付けの紙上にて報じています。
この記事には、有り難いことに献立まで掲載されているので、それを元に整理した表が下記になります。

表1
赤字は上等弁当、普通弁当に共通する御菜

表2
赤字は上等弁当、普通弁当に共通する御菜

熊本駅の上等弁当の御菜は10品。普通弁当では8品ですが、このうち両方に共通して入るのは赤文字の3品のみ。内容的に見ても、特に上等弁当は揚物系が入らないだけで、今の幕の内弁当と比べても遜色の無い内容だと思います。

八代駅の方は、上等弁当は熊本駅と同じ10品の御菜に対して、普通弁当は半分の5品で、熊本駅より3品も少なくなっています。こちらの駅では上等、普通弁当に共通するのは2品でした。
八代駅の普通弁当は、内容的に見るとちょっと貧相な感じを受けますが、これは鉄道院の定めた普通弁当の品数(5品)に合わせたものと思われることから、規則を忠実に守った結果であり、鉄道院が望んでいた内容は確保されていました。
それに対して、熊本駅の方は企業努力として、より多くの内容で提供したものと言え、言うなれば、最低限プラスアルファの良心的な弁当であったと言えます。