1号機関車の掛紙

先日(10月14日)は、日本に鉄道が開通して150年目の記念すべき日でした。

前回のコラムでは、昭和47年(1972)に鉄道開通100年を記念して、構内営業中央会が加盟各社共通の掛紙として製作した「動態保存蒸気機関車シリーズ」を紹介しましたが、今回はそれに先立つこと4年前の「明治百年記念祭」に際して製作された1号機関車を図案とした掛紙の紹介です。

昭和43年(1968)は、慶応から明治に改元されて100年になるので「明治百年祭」として、政府主導による各種行事が行われ、それに追随するように社会的にも大いに盛り上がりを見せました。
そのような社会機運の中で名古屋駅の松浦商店が記念掛紙として展開したのが、「汽車100年シリーズ」です。
正確には「汽車100年」は、昭和47年の「鉄道100年」に当るのですが、明治時代の象徴としての汽車、そして4年後の鉄道100年を見据えたテーマの選定であったものと考えられます。

この「汽車100年シリーズ」。
汽車を名乗ってはいるものの蒸気機関車はもちろんのこと、電気機関車や電車までも含んでおり、1号機関車から新幹線まで鉄道車両史の中で重要な位置を占める19種類を紹介するというロング・シリーズで展開した、企画、規模のどれを取っても掛紙史上最強と言ってもよいくらいのシリーズ。

画像1

画像1は、1号機関車を描いたもので、現在は埼玉県大宮市に所在する鉄道博物館で見る(画像2)ことができますし、この掛紙が使用された昭和43年当時は、東京神田の交通博物館で見学できました。
この掛紙の1号機関車は今の姿をモデルとして描かれているので、実際に明治5年に新橋・横浜間で使用された時とは、かなり形が違っているのですが、意外とそのことは知られていません。
ですから、掛紙の1号機関車=明治5年の開業当時の姿、ではないので注意が必要です。

画像2

1号機関車は、イギリスのバルカン・ファウンドリー社において製造、日本へ送られました。
明治5年(1872)の開業当初の新橋・横浜間で使用された後、明治13年(1880)11月に神戸へ配置替えとなり、明治18年(1885)7月に愛知県の半田へ再度配置替えになるのですが、この頃に神戸工場で大規模改造を受け、現在の姿になったと考えられています。

それでは、この大規模改造前のオリジナルでは、どのような形をしていたのでしょうか?
幸いにも、バルカン・ファウンドリー社から贈られた製造当初の写真(画像3)が残されているので、ご覧ください。

画像3

大きな相違点は、
1.煙突先端部のキャップの形状。
2.ボイラーの位置が、改造後は高くなっている。
3.ボイラー上にある蒸気溜めの位置が移動。
4.運転室前面窓の形が、円形から方形へ変更。
になり、見た目の印象では初期はスマートで、改造後は太り気味なメタポ体形といった感じと言えましょうか。

なかなかオリジナルの姿を知っていたがける機会が少ない1号機関車ですが、これを機会に本来の姿と改造後の姿を比較して、その違いを知っていただけたら、掛紙を通して鉄道150年を祝うに相応しいことと思います。