木曽福島駅「木曽路ふるさと弁当」

「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」
島崎藤村『夜明け前』の書き出しです。
木曽路の情景を、これほどまでに見事に描き出しているとは、さすが文豪島崎藤村。

明治時代に文字によって描き出された、この木曽路の情景は、それから百数十年を経た今日でも、全くと言ってよいほど変わりはありません。

この木曽路を縦貫するのが中央本線で、その途中駅に木曽福島駅があります。
画像1の地形図を見てもわかるとおり、中央本線は塩尻を出ると、すぐに山あいの木曽路に入り、地図には入っていませんが木曽谷を抜けた中津川で、濃尾平野へと続く平地に出ます。

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画像2 中津川駅を発車し木曽谷へと向かうD51牽引の列車(昭和41年3月3日)

画像3は、1978年10月の名古屋〜松本間の時刻表。
途中駅の中津川〜塩尻間が木曽路に相当するわけですが、この間で駅弁を販売していたのが中津川、木曽福島、塩尻のみであることが「駅弁マーク」からわかります。
塩尻と中津川は、共に木曽路への出入り口に当る駅なので、木曽山中では木曽福島駅のみが、駅弁販売駅であったことになります。

画像3 昭和53年10月時刻表より(赤丸が木曽福島)

その木曽福島駅で構内営業を行っていたのが松岡弁当店。
同駅での構内営業は明治43年に始まりますが、途中で経営形態の変更があり、松岡名義では大正7年からの営業になります。
画像4は昭和10年の同社の掛紙ですが、雪を被った山々を描いた、山深い木曽のイメージを表現した秀作だと思います。

画像4

この木曽福島駅で人気だったのが「木曽路ふるさと弁当」。
長年販売されていたので、その時々で容器の形態や内容に変化が見られますが、一貫して守られてきたのが「山のお弁当」というコンセプト。
画像5が、昭和末期〜平成初期(同駅での駅弁販売は平成4年に終了)に販売されていた「木曽路ふるさと弁当」です。
杉材を使った弁当箱には、醤油ベースの味付けご飯、その上に彩りも美しく山の恵みを色々と乗せたものです。
お菜も全て煮物で統一するなど、いかにも「山のお弁当」というこだわりを感じさせる仕上がり。
山の恵みが中心なので、いま流行の肉系や海鮮系のような見た目の派手さはありませんが、木曽谷という地元の食を主張した好ましい駅弁だと思います。
「木曽路ふるさと弁当」のように、食を通してご当地を紹介するというのは、駅弁の一つの姿ではないでしょうか。
私は、この辺に現代の駅弁では感じられない「ある種の真面目さ」を、この駅弁から受けるのです。

画像5

ところで、この松岡弁当店ですが、他の駅弁業者とはちょっと違う一面を持っていました。
駅弁業者と言えば、駅弁の他に駅前の一等地を利用した旅館やホテル業、不動産業を営んでいる所が多いのですが、松岡弁当店は、なんと新聞取次店を経営していたという変わり種。
この駅弁と新聞という組み合わせ、社長さん曰く
「(駅弁も新聞も)年中無休、忙しくても儲からない」
点が似ているということで、聞いて思わず納得です。