日高本線様似駅の「つぶ貝弁当」

今月(2121年3月)末に、ひっそりと廃線になる路線が北海道にあります。
日高本線(苫小牧~様似間)の鵡川(むかわ)~様似116kmの区間がそれで、全線146.5kmの実に79パーセントが廃止。
 ここで「ひっそりと」と書いたのは、実はこの区間、もう何年も列車が走っていないのです。
それは、2015年1月に日高本線付近一帯を襲った高波により、道床の流失を含む甚大な被害を受けたことによります。
地図1に示すのが日高本線の線形で、ほとんどが海岸線に沿って敷設されているのがわかるでしょう。実際に乗ってみると駅が海岸に接していたり、荒天時には列車に波飛沫が掛かるような所もあり、これまでにも度々被災運休がありました。

地図1

この日高本線も多くの北海道の路線と同じく利用者の著しい減少が認められ、そのことが復旧を遅らせ、最終的に廃線という結果になってしまったのです。
筆者がこの路線を乗ったのは1980年代初頭のことで、夏になれば多くの若者が「北海道ワイド周遊券」を手に、国鉄の路線を乗り継ぎ道内を旅していた時代でした。
その頃の日高本線は、森進一の歌で有名な襟裳岬に向かう定番ルートの一つで、札幌から急行「えりも」号が3往復も走り、終点の様似駅は、襟裳岬行きのバスに乗り換える旅行者でとても賑わっていました。
その様似駅で売られていた駅弁が「つぶ貝弁当」で、調整は渡辺駅弁商会。このほかに「鮭味(あきあじ)弁当」というのもありました。

つぶ貝を用いた駅弁は、多くはないものの北海道・東北を中心に数種が売られていましたが、実は「つぶ貝」という特定の貝は存在しません。
「ばい貝」という名前を聞いたことがあるかと思いますが、多くのばあい「ばい貝」のことを「つぶ貝」としています、
「ばい貝」は肉は食用として、貝殻は「ばい独楽」や「ばい笛」とした玩具として、古くから利用されてきました。
昔、男の子がよく遊んだ「ベーゴマ」。そう、あの金属製の小さな独楽。実は、明治時代の後半に金属製の「ベーゴマ」が作られる前は、「ばい貝」の貝殻に砂や鉛を詰めて蝋で封をしたものが作られていたのです。「ばい独楽」が転じて「ベーゴマ」と呼ばれるようになったわけです。

様似駅の「つぶ貝弁当」に使われていたのはエゾボラ。
エゾバイ科エゾボラ属という学名を持ち、エゾは蝦夷地で北海道を表し、ボラは巻貝を表す法螺(貝)のことですから、現代風に言えば「北海道の巻貝」とで言いましょうか。
駅弁では、その貝身を細長く刻んだものを炊込みご飯にしたもので、ほんのりと磯の香りが漂うもの。それに煮物の御菜が若干付いていたと記憶しています。

渡辺駅弁商会は、様似駅近くで食堂を経営していましたが、昭和60年頃に廃業してしまいました。
「つぶ貝弁当」発売開始の時期については定かではありませんが、昭和40年代末頃と思われ、バイ貝を利用した駅弁としては最初のものと言われていました。

近年、様似駅構内観光案内所において「様似産つぶめし」として販売されているものを、駅弁として紹介されているのを見ることがありますが、これは今回ご紹介した「つぶ貝弁当」とは、全く異なるものですのでお気をつけください。