朝鮮の駅弁・金泉駅

朝鮮最初の鉄道は、明治27年(1894)の甲午改革の中で李氏朝鮮に対して、日本が首都京城から開港場であった仁川までの鉄道建設を提案したことに始まり、同32年(1899)8月20日に最初の鉄道である京仁線が開通しました。
明治39年(1906)になると、日本が第二次日韓協約に基づいて設置した韓国統監府内に鉄道管理局を置き、そして同43年(1910)の日韓併合により朝鮮総督府が設置されると、その内局として鉄道局が置かれました。
その後、着々と路線を延ばし、大正年間には主要幹線網が出来上ります。

鉄道が敷設されると、旅客のための給食として日本と同じように駅弁の販売が始まりました。
朝鮮で最も古い駅弁販売がどこの駅であったのかは未確認ですが、鉄道と同様に駅の構内営業についても日本のシステムが導入されたものと考えられます。

画像1

画像1は、金泉(キムチョン)駅で販売されていた駅弁の掛紙です。
金泉駅(画像2の黒線)は、京城と釜山を結ぶ大動脈である京釜線と、金泉駅と栄州駅を結ぶローカル線である慶北線との接続駅で、明治38年(1905)に開業しています。
本品は最初の持ち主が参考品として直接業者から入手したものと考えられ、そのため調整日付印が押されておらず使用年の特定が出来ませんが、多色刷り平版印刷であることから昭和戦前期のものであると想定されます。
「鳥めし」は、昭和戦前期には日本国内では特殊弁当の定番として定着していましたが、朝鮮においても日本の食文化の一つとして売られていたことがわかります。
調整は、金泉駅の駅前旅館である丸金旅館が行っており、こうした販売手法も日本の駅弁と同じであったことがわかります。

画像2

画像2は、昭和19年作製の朝鮮半島南半の鉄道路線図です。
赤色の路線が朝鮮総督府鉄道で、水色は私鉄線ですが、私鉄の大部分が朝鮮鉄道株式会社の路線です。
駅名の前後どちらかに付いている白丸の駅が、昭和13年2月現在で駅弁が販売されていた駅になります。
この図から、日本ほど密度が濃いわけではないものの、幹線の主要駅では駅弁販売が行われていたことがわかります。