くっついたり離れたり 大宮の駅弁

JR東日本、東武鉄道、埼玉新都市交通の3社が乗り入れ、埼玉県最大の駅である大宮。乗降客は1日平均約69万人も居るのに、残念ながら、地元業者が調整した駅弁は売られていません。
もちろん駅弁売店はあるのですが、そこで売られているのは、横浜や仙台など他駅からの輸送駅弁です。
でも、以前には複数の地元の駅弁業者が営業をしており、特にムサシ食品が調整していた「盆栽すし」は、食べた後の容器が植木鉢に使えるというユニークさも手伝い、全国有名駅弁の1つに数えられていました。

この大宮駅での駅弁販売の歴史は古く、鉄道国有法により日本鉄道が、明治39年11月1日に官設鉄道へ転換された翌年の、明治40年に始まりました。氷川屋(画像1)と濱長(画像2)が弁当を、門奈(文末注参照)が主として雑貨店を営むという三者体制でしたが、昭和9年に酒を含む飲料、及び雑貨の取扱を鉄道弘済会に譲渡したため、三者が合議のうえ昭和9年2月23日に合同で三立軒を設立しました。

画像1 氷川屋

 

画像2 浜長

戦後に旅客数が増加すると、三立軒1社だけの調整では対応し切れなくなったことから、旧氷川屋系が、昭和24年12月1日にムサシ産業(画像3)として三立軒から独立。ムサシ産業は、後にムサシ食品と改名し、駅弁調整の他に大宮駅東口にて、テナントビルと食堂の経営も行っていました。

画像3 ムサシ産業

このように大宮駅の駅弁業者は、3社が個々に営業を開始したものの、鉄道弘済会という官製財団法人が設立されると、その影響をもろに受けて合併。そして、戦後の社会状況の好転とともに分裂、最後は国鉄が民営化され構内営業の大きな変質という波に飲み込まれ全社が撤退するという、まさに時代の流れに揉まれ、くっついたり離れたりする全国的にも珍しい歴史を持っていました。

(注)門奈について
記録に残されている門奈の扱い品目は、飲料と雑貨となっていますが、それに加えてサンドイッチの販売を行っていたことが、残された掛紙の存在から知ることができます。但し、米を使用した、いわゆる弁当の販売は行っていないようです。
門奈は西洋料理店を営業していたことから、サンドイッチの販売を手がけていたものと考えられます。

画像4 門奈