現在、札幌や旭川から稚内へ向かうには宗谷本線を北上するしかありませんが、以前には途中の音威子府から分かれて、天北線(平成元年5月1日廃止)を経由し稚内を目指すルートもありました。
地図1は、昭和31年の鉄道路線図ですが、図の中で「北見線」と記されているのが天北線(昭和36年10月「天北線」に改称)です。
実は、宗谷本線が全通した大正15年9月以前は、この天北線(大正11年11月全通)こそが、唯一稚内と札幌方面を結ぶ路線でした。
今回ご紹介する浜頓別駅(地図1では「頓」を「幌」と誤字)は、路線長148.9キロを測る天北線の中で、最も規模が大きく中心的な存在の駅でした。
この浜頓別駅で駅弁がいつから販売されていたのかは定かではありませんが、筆者が確認した最も古い記録は、大正12年7月に発行された鉄道省運輸局が発行した『列車時刻表』で、画像1に示すのがそれです。
浜頓別駅名の隣に駅弁販売の記号が記されています。
それとは逆に終売の時期については、「昭和40年代前半まで」と言われたりしますが、これもある程度の時間幅を持った推定となっています。
これについても筆者が確認したところ、昭和44年5月号の時刻表には画像2に示すように駅弁販売の記載がありますが、翌45年8月号には未掲載となっていることから、昭和44年の下期から45年上期の間に終売となったものと特定できます。
画像3は、平成14年に旭川駅立売商会が復刻販売した浜頓別駅弁です。
終売から三十数年後に復刻された駅弁なので、情報が少ない中で、どれだけ当時のクオリティに近づけたのかは不明ですが、いわゆる幕の内弁当の規範に入るものと言えます。
白ご飯の上には鮭フレイクが乗り、おかずには、わかさぎと川海老の佃煮。これらは地元の特産品ですが、わかさぎは同じワカサギ属の中でもチカを使用していたのかも知れません。佃煮にしてしまうと、ワカサギもチカも素人には区別がつきませんが、浜頓別のチカは有名です。
イラストを見てもわかるとおり、この駅弁は、素朴な、いかにも田舎のお弁当という感じを受けますが、浜頓別という特に冬の自然環境が厳しい中で、いつでも入手可能な地場物をうまく利用した駅弁だったと言えましょう。
さて、この調整元は西野という個人業者でした。西野は、昭和23年4月1日付けで札幌鉄道局長の承認を受け、構内営業を始めています。
先に紹介したように、浜頓別駅では戦前から駅弁の販売が行われていましたが、これは西野とは別の業者(業者名不明)が行っており、この業者が戦時中に事業を止めていたことから、3年の空白期間を置いて、西野が構内営業を再開したものでした。
駅弁の売上げに最も影響を及ぼすのが、列車本数であることは言うまでもありません。
そこで浜頓別駅を発車する列車本数を調べると、昭和28年3月では上下各4本の普通列車が、昭和36年9月では上下各5本ずつの普通列車があるのみであり、昭和44年5月では若干増えてはいるものの、上下各7本(この内、急行は各1本)しかありません。
もちろん、この中には食事時間帯から外れる列車も含まれていますから、そうした事情を考慮すると、浜頓別駅での駅弁販売数は極めて少なかったものと思われます。