「横川の釜めし」掛紙の変遷

「○○御三家」という言葉がありますね。例えば、東京で「ホテル御三家」と言えば、帝国、オークラ、ニューオータニですし、最近では外資系ホテルから選んだ「新御三家」なんて言葉もあります。
その「御三家」を駅弁で考えると「森のいかめし」「崎陽軒のシュウマイ弁当」「峠の釜めし」が、「駅弁御三家」ではないでしょうか。
その理由は簡単で、この3種なら特に駅弁ファンではない、普通の人の間でも名前が知られていますし、発売されてからも息の長いロング・セラー駅弁であるからです。
ロング・セラーであるということは、駅弁の顔である掛紙に変化が見られるということで、今回は駅弁御三家の一つ「峠の釜めし」を例として、掛紙の変遷を追ってみたいと思います。
 
 

「峠の釜めし」は昭和33年(1958)に誕生しました。
残念ながら初期の掛紙がどのようなものであったのかはわかりませんが、現在手元にある最も古いと考えられる掛紙が写真1のものです。調整日附印に年号が入っていないので正確な製造年は不明ですが、手がかりとなる値段は120円。時刻表で確認すると、昭和36年頃の値段であることがわかりました。
バックの色を単色のベタ刷りとし、中心に大きく土釜を描くデザインの基本は、現在まで踏襲されているものです。掛紙左上には「峠の釜めし」の由来が記され、また右上には、空の土釜で一合のご飯が炊けることが記されています。本掛紙では駅名・社名・電話番号が、右下に縦書きで記されています。
 
 

写真2の掛紙も、製造年が不明の120円時代のもの。写真1と大きく異なるのは、由来書きが無くなり、その代わり「容器はそのまま御家庭で140g(一合)の御飯がおいしく炊けます」という、現在でも使われている説明書きが登場しています。また、中央に大きく「商標登録」と「意匠登録」が入ったのは、「峠の釜めし」のヒットに影響されて登場した類似商品への対抗処置と考えられます。
 
 

写真3の150円は昭和39年頃の価格です。左上に、碓氷温泉愛宕荘という施設の紹介が入っています。この施設、現在はありませんが、信越本線の碓氷峠を行き来する列車が、大浴場の窓越しに15m程度の距離で見られたそうです。
 
 

写真4の200円は昭和42年頃のものです。この掛紙には「お願い 危険ですから釜を投げずに屑物入又は腰掛の下にお捨て下さい」という、驚くべき注意書きが印刷されています。わざわざ、こうした注意書きを印刷するということは、窓から釜を投げ捨てる乗客がいたのでしょう。同種の注意書きは戦前の掛紙にはよく見られますが、社会が成熟した昭和40年代においても、そうした行為が見られたということに驚きます。
 
 

写真5は、昭和47年のもので値段は250円。この時期になると「峠の釜めし」は超有名駅弁に成長しました。そのお陰で弊害も出てきたのでしょう。自衛のために「最近類似品が出回って居りますが御用命の際は荻野屋と御氏名下さいませ」という注意書きまで印刷されるようになりました。こうした注意書きは、駅弁では珍しいものと思われます。
 
 

写真6は、昭和48年のものですが、前年より50円値上がって300円となっています。この掛紙から、「美しい日本と私 DISCOVER JAPAN」という、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンのロゴが入るようになりました。同キャンペーンは、昭和45年10月から開始されたのですが、写真5の47年の掛紙には入っていませんから、掛紙への対応が意外と遅いことがわかります。
 
 

写真7は、昭和53年のもので値段は600円。昭和47年からの6年間で2倍の値段に上がっています。参考までに、大卒の平均初任給は昭和47年が62, 300円で、昭和53年は105, 500円でしたから6年間で約1.7倍の伸び率でした。このことからも釜めしの定価2倍アップは、当時の社会から見れば、それほど大きな伸びではなかったと考えられます。
また、この掛紙には昭和52年に始まった「一枚のキップから」キャンペーンのロゴが印刷されています。同キャンペーンは期間が短かったことから、ロゴが印刷された掛紙は少ないものと思われます。
 
 

写真8は昭和60年のもので、値段は700円。
「峠の釜めし」の掛紙は、伝統的に緑系統の色を使用してきましたが、この掛紙では、これまでとはガラッと変えて、オレンジ色に変更しました。
「峠の釜めし」を販売する横川駅の開業は明治18年。この掛紙の昭和60年は、ちょうど開業100年の年に当たり、「おぎのや」も開業と同時に営業を開始しているので、100年です。それを記念して掛紙上部には100年記念ロゴを印刷し、また下部には前年から国鉄が開始した「エキゾチック ジャパン」キャンペーンのロゴを配しています。
掛紙の色の変更は、創業100年記念の意味を込めてのものだったのでしょう。
 
 

写真9は昭和62年の掛紙です。写真8と同じ「おぎのや」創業100年ロゴは残っていますが、横川駅開業100年は削除されています。この前年である61年の掛紙では両者が印刷されているので、62年から横川駅100年が削除され、「おぎのや」が100年企業であることをアピールする狙いが見られます。
 
約30年間にわたる横川駅「峠の釜めし」の掛紙を見てきましたが、単なる包装紙としての掛紙にも、それぞれの見どころがあることが理解できたのではないでしょうか。
掛紙から、時代を読み解くことができるのです。